2016年12月05日

ステラちゃんもほしいの




こらこら~ 誰だぁ~ 暗闇の中でいたずらしようとしてるのは!
真っ暗な暗闇でもバレバレですよぉ~
それともその姿を見せて、驚かそうとしたのかな?

暗闇の中で光る姿を見せたのは、かぼちゃの着ぐるみを脱ぎ捨てたステラちゃん。
そんな素っ裸で何をしようとしてたのかなスマイル






「ねえねえ、このケーキは私のでしょ?」
「だって今日はハロウィンよ。私だって食べたいわハート(手書き)」
だ~め! あなたさっきお化けになって皆を驚かそうとしてたでしょ怒ってる
「え~、ちょっとしたいたずらじゃない。ケチ~雫」
仕方ないなぁ~。 じゃあ、ちょっとだけならおすそ分けしてあげるわね。
「でもなんでカボチャのケーキじゃないの?」
それはねぇ、ラクスがカボチャはイヤだって言ったから~雫
でも、これもチーズ味のプリンが入ってておいしいわよ音符

今日はハロウィンお化け
皆さんのとこには、いたずらっこが来ましたか?スマイル



  


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2016年07月11日

緊張して眠れないよ




幸浦のオートバックスの店員さん親切だった。

なんであんなにさわやかなんじゃ?^^

あっ、正確には横浜ベイサイド店(どこがベイサイド?)なんだけど。

タイヤが終わって新しいレンチを買おうと思って店内に入ると、担当のメカニッ
クのお兄さんが追いかけてきて「あっ、レンチはこっちがいいですよ」。だと。

高価なものを押し付けるわけでもなく、一番安いやつ教えてくれた。

おかげで午後の作業が、気持ちよく執り行なわれましたとさ。




えー。。。皆さんの地域で廃品回収業者って来ます?

軽トラとかで大音量で「廃品回収のOXサービスです。なんでも無料で回収します」と。

まぁ、その廃品回収も基本的には行政の仕事なわけで。

そうでしょ?ゴミなんだから。破棄したいんだから。

無料はおかしい。かなり高い値段を吹っ掛ける業者もいる。

これ、どこかの山林に捨てたりとかされてたらどうします?元持ち主さんは。。

詳しいことは消費者センターにでも


今日、K察の人が事務所に来てチラシ渡されたんです。

新手の悪党がこのあたりで出たと。

男が個別に訪問して「午前中、ひとまわりしてきたんですけどまだトラックに空きがあるので、、お宅、廃品残ってませんか?」と聞く。

これがあるエリアを一気に聞きまくる。これ空き巣の下見。空き巣でっせ!

俺、ランディとの散歩の途中でそれ風の男にあった。

見知らぬ人間が俺のテリトリーに入ると妙に鼻が利くのだ。

ちゃんと人相から車種名まで覚えてた。で、今日来たおまわりさんに教えたということです。

これで感謝状とかもらったらどうしよう(ありえねーぞ!w)






  


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2016年07月07日

国民の幸福度ランキング



昨夜のTV朝日『世界サミットたけしJAPAN2』を見て、
国民の幸福度ランキングが気になったので、調べてみたところ、
ここのデータと一致したので、
どうやら2006年頃のランキングらしい。

すると、おそらく現在は、
日本の順位は、世界90位よりさらに悪化しているに違いない。
(アメリカの23位も、おそらく下がっているだろう)

本来、日本は、美しい風土と四季に恵まれ、
情緒豊かで和を尊ぶ国民性と、
繊細な感性・知力・許智政醫生手先の器用さを持ち、
言論思想宗教の自由を保障され、
インフラは整備され、治安も一定以上は守られており、
平均寿命は世界一長寿の、素晴らしい国。

 にも関わらず、この不幸感はどうであろう。

おそらく満ち足りた人と、そうでない人の間に、
大きな壁ができてしまっているからではなかろうか。
(後述する)


幸福度1位のデンマークと、許智政醫生
比較すれば分かる。

かつては、デンマークにも貧富の格差が在ったという。
しかし、かのアンデルセンの『マッチ売りの少女』以降、
国を挙げて、“幸福”というものを注視し、福祉に力を注いだ結果、
奢るほど豊かではないが、決して貧しくはない、
何よりも国民自ら「満ち足りて幸福だ」と口にできる、
今のデンマークができ上がったそうだ。


対する日本は・・・・
山本有三『路傍の石』・新美南吉『ごんぎつね』・芥川龍之介『蜜柑』・
森鴎外『高瀬舟』その他たくさんの文豪や名作から、
『マッチ売りの少女』に匹敵する優れたメッセージを受けつつも、
為政者は、一顧だにしなかった。

あえて辛辣な言い方をすれば、
日本は、ごく一部の満ち足りた人間を支えるために、
その他大部分の国民を、犠牲にし搾取し続けてきたのだ。
選民して、手懐けるためにほんの少しずつ、おこぼれの権限を渡しながら。
つい最近、2009年8月30日までは、そういう政治がなされてきた。

その結果が、許智政醫生

世界90位の幸福度ランキング。
満ち足りた人と、そうでない人との間の、越えられない壁。


政権交代し、真の民主主義を手中にしたなら、
まず“幸福”というものを注視し、
どんな政策を取るかを、練るべきだろう。
謙虚に、童話から学んだ、デンマークのように。  


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2016年07月06日

『日々是怪談』 工藤美代子



今月から、河合隼雄や茂木健一郎にはまっていて、
その著作をいろいろ読んでいる。
合間の休憩のつもりで、この本を図書美麗華領隊館で借りてきた。
そうしたら、自分の中でかなりヒットするものがあった。

私より一回り以上年上の作者が、
十数年前に出した、日常怪異にまつわるエッセイ集。
つまり、年齢的に40代後半の女性として、共感できるものが多いということだ。
作者の半生は、私のような地方在住の平凡な主婦とは異なり、
世界を股にかけた、かなり奔放なものだが、
ただ一点、「現在の自分の感性に正直」という点のみが、
彼女と私の共通点かも知れない。

その共通点と、中身のほんのりゾクゾク美麗華領隊来る恐怖感、
ノンフィクション作家だけあって、さりげなく読者を引き込む筆力が気に入って、
ネットショッピングで購入しようとしたら、
なんと絶版・・・・。
  残念なことだよ、出版界。

24篇のうち、「里帰り」「行ってはいけない土地」「三島の首」
「虫の知らせ」「酒場の約束」の5篇美麗華領隊が、特に印象的。  


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2016年06月27日

当たり前。


あれ、こんな所に水仙があったっけ?満開だね!

ここに水仙が植えられていることに初めて気付いた哲が嬉しそうに言った。
そうだよ!ずっと前からあるし、先週から満開だよ!

もうすでに何度もここを通っている私は「当たり前」のことのように哲にそう言い、その水仙を横目で眺めた。
一週間前に蕾が開いたのを見た時は、うわ~、、と声をあげ、いろいろな角度から写真を撮っていたのに。

あれは1年半前に帰国した時のことだった。
朝ドラを観ながら朝食を済ませ、その流れで朝の番組を観ていた。レポーターがしたコメントに、出演者が「そうですよ!これは~なんですよ!」と言い、自分の知っていることをその後付け加え話していた。すると普段はあまり人のことを悪く言わないママが、食器を洗っていて濡れた手をエプロンで拭きながら、「物事は、そんな風に知ったかぶって言うものじゃないわよねぇ。」と言った。

小さい頃、私を注意するのは決まってパパだった。ママはいつも優しくて、我がままな私を寛大に受け入れてくれていた。今思うと、叱られたことを思い出せない。
だからママがそんな諭すようなことを言ったのが新4D 埋線鮮で、自分が諭されたかのようにハッとしたのだった。

そう、私はよく「知ったかぶり」する。
知っていることを誰かに見せたって仕方がないのに、おそらく自信が無いからなのか、昔からそうなのだ。
それは末っ子だったからなのかもしれない。いつも自分よりも多くのことを知っている姉に負けじと、知っていることを話し、認めてもらいたかったからなのかもしれない。

そうだよね、水仙、きれいだよね~。と言えなかった私は、また知ったかぶりをしたのだった
5月中旬、今日も薔薇が咲いていた。

冬から春に移り変わり始めることは、どんな小さな蕾も芽も逃さんとばかりにキョロキョロし、そしていちいち感動していた。でも今はこんなに真っ赤に薔薇が咲きほこっていても、それは「当たり前」となり、これは一応撮った写真だった。

世の中には「当たり前のもの」なんて無く、いつでも「当たり前で無い物」を享受しているのだということを忘れやすい私にとって、四季があって本当に良かったと思う。例潤膚霜えそれぞれの季節の美しさを忘れたとしても、1年に4回訪れる四季の変化のお蔭で、当たり前が当たり前でないと気付かせてもらえる。そして感謝出来る。
そして毎日に「天気」があって良かったとも思う。季節の移り変わりは数か月単位だが、天気は日々変化する。春という大きな気候の中でも、昨日は大雨、今日は曇り、明日は快晴と、日々、違う色を見せてくれる。時には一日の中でも、大きな変化がある。だからこんな私でも忘れずに青空に感謝出来るのだろう。
雨が上がった後のすかっと晴れた空を、首が痛くなるほど上を向いて眺めては、大きく息を吸い、空に吸い込まれそうな木々を見上げ、そして感謝する。あぁ、雨の後のこの青空が好き。

てつ~、空が綺麗だね~。

「青空」を知ったばかりの私は知ったかぶりをすることも無く、素直な気持ちで「美しさ」を受け入れ、その気持ちを哲と共有できる。

生きていれば日々、心が「晴れ」の日もあれば、「雨」の日もある。でも人は「晴れ」が続くと「晴れ」の嬉しさを忘れてしまう。哲のあの大病でさえも「晴れている日々」の中で思い出すことは少しずつ減り、「生きているだけで幸せ」と思っていたことをも忘れてしまう。

神さまは人が忘れやすい性分だから、変化を起こし、思い出させてくれるのかもしれない。そうだとしたら、「晴れている」ことに日々感謝しなければ、また「嵐」が来てしまうかもしれない。今日、窓の外が雨なのは、私がすでに昨日の青空を感謝することを忘れてしまったからなのかもしれないな。
  


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2016年06月24日

竹植うる頃



故事に由来するが竹酔日(ちくすいじつ)と呼ぶ日土耳其旅遊がある。旧暦の五月十三日、暦の上でいう夏至が竹を植え替えるのに最適とされる。この時期に植え替えられた竹は枯れることを知らず繁茂すると伝わっているとか・・。竹の生態についてはそれ程知られていないのが実際だが「竹を咲かせる」という技は大変難しいことのようである。


俳諧の世界では「心象季語」と称して秋に「竹の春」・・春に「竹の秋」と表現することがあるが、竹が酒に酔った様な気分になり植え替えられたことにも気付かず成長することに由来するらしい。芭蕉の「蓑日記」に・・


         『降らずとも 竹植うる日は蓑と笠』


という句がある。竹根には梅雨時に根付いて育つ習性があることを教えられる。杜甫や李白の詩情に心酔したと言われる芭蕉が江戸中期(元禄の頃)既に『竹植うる日』と題していることを思うと改めて歴史の重みを感じる。夏至は本格的な夏の始まりを意味し、暑気に向う支度を整えよう・・という表われのようだ。夏至に蛸を食べるという習慣のある地域もあると訊くが稲が蛸足の様に育てと願う縁起から生まれたものだという。


日課にする早朝の散歩道・・太陽を見届けてコースを変更してみた。坂道をゆっくり上る。私が住む周辺は房総半島の玄関口だが整地された広い碁盤の目に新興住宅が建ち並んでいる。高台からは大型スーパーやショッピングモールが州浜を占領した様な形に見える。坂の上は清々しく見晴らしが良い。神奈川県の三浦半島越しに富士山が遠望出来るポジションである。陽を浴びた早朝の富士山が美しい。「神州第一峯」とは良く言ったものだと独り頷く。


世界遺産に登録されたことを受けて日本人の富高麗蔘山を捉える目が変わった様に思う。立ち止まって深呼吸・・呼吸を整えて坂道を降りる。毎日歩くいつものコースに戻って公園のマイベンチに到着・・腰を下ろすと、こちらも毎日顔を合わせる70代のご夫婦が公園のゴミ集めを終え、隣のベンチに腰掛ける。鳩の群れに米やパンの耳を与えるので後を追うように鳩の群れが舞い降りて集まる。


     『おはようございます・・』    『お早うございます・・』


旦那はボランティアで公園のゴミ拾いを始めて5年になるという。私の散歩経歴とほぼ同じである。奥様はパートタイムでゴルフ場に勤務されていて空き時間があれば旦那と一緒に公園の清掃を手伝っておられるようだ。傍目には羨ましいカップルである。話を窺っているうち、奥様が勤めるゴルフ場の客が減少してパート従業員を歳嵩の順に解雇するとかしないとか・・。


  『男の俺を雇ってくれりゃ有難えのに 男は不要だそうでネ・・

   炊事・洗濯と女房の送迎が俺の仕事・・猫の餌まで引き受けちゃって・・

      参りましたよ・・ハッハッハ・・』


再婚同志だと伺ったがご夫婦は頗る元気で仲が良さそうだ。毎日蘆薈汁顔を合わせ無駄話を繰り返す間柄だが、年寄り仲間にはこれと言って纏まった会話はない。《蕗を煮たから・・沢庵が漬かったから・・》と言っては自家製を頂戴するので私は旦那のゴルフコンペに向きそうな景品をプレゼントしたり、時々旦那が吸う煙草を差し上げるというお付き合いの間柄である。公園の「園友」というところだ。


  『夏至のこの時期は竹の植え替えに最適な季節だっていうから、我々人間さまも

     同じ様に転業出来れば新天地が開けるチャンスかも知れませんネ奥さん・・』


と私は笑顔を交えて話した。愚痴を聴くのも拾うのもお互い様だ。他人の人生にアドバイスなど出来ないが、『お互いが労わり合って今日の一日を大切に生きましょう・・』精一杯のエールのつもりだ・・竹薮の向こうで雷鳴が聴こえた竹粋日・・どうやら梅雨明けも間近な気配である。  


Posted by うつ病の人 at 11:45Comments(0)

2016年06月23日

数字まみれの世界



あまり知られていないかもしれないが、猫は数を数えようと思記憶綿えば数えられなくもない。前にドキュメンタリーで7匹生んだ母猫がふいに目の前から消えた1匹を探しウロウロしているのを見たことがある。

猫は産後匂いで獣がおびき寄せられるのを嫌いねぐらを変えるが、その母猫は4ー5匹新しいねぐらに運んだとこでミイミイ言ってる残りの仔猫をいったん確認して、はてよ?と思い直し(その時のキョトンが可愛いったらない!)、新しいねぐらへトットットと駆けて行き、えーやっぱり一匹いない!!と慌てていた。ということはだ、足し算か引き算かなんかしら頭の中で数が行き来したはずで、猫が飼えない大の猫好きの私からしたらもう言いようもない愛おしさを覚えずにおれなかったということをこの場を借りて報告しておこう(誰韓式柔眉に?なんのために? 。。。なんじゃソレ、笑)
 
ところで私たち人間には自分たちを軸として他の生物の知能を計るいけない癖があるが、それによると猫はだいたい3歳児ぐらいの…ということらしい。まったく猫に失礼な話だ。英才教育されてる子を除き私たちは、小学校で私たちの暮らしには数が存在するということを学ぶ。そうして足し算引き算かけ算割り算など学んでいき、いつしか数字なしでは日常生活がままならないほどに数字でできた世界にどっぷり浸かってゆくことになる。

給料、身長、体重、スリーサイズ、年齢、カロリー、成績張琛中醫、順位、血糖値、日付、時刻、電話番号、友達の数、クリック、ポイント、株価、気温、降雨率、死亡率と数字のリストは続く。逆に数なしではもう、現代の私たちは宙を見つめてぼーっとしてしまうだけだろう。  


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2016年06月16日

郵便配達ベル鳴らし、猫考える



アマゾンや楽天でポッチする飼い主の行動と、
翌日か翌々日にピンポン鳴らし手頃な段ボール
箱を下げてやってくる宅配でーすの兄ちゃんの
関係性を知る猫は多くない。
それは猫の記憶力がどうのこうのいう問題では
なく、猫がネットショッピングというシステム
を彼らの言葉で説明してもらっていないために
起こるいわば意識の空白なのである Beauty Box
 
つまり猫にとっての段ボールを持ってきてくれ
る笑顔の兄ちゃんとは、いつだって前触れなし
に来たい時に寄って物持ってきてくれる親戚の
オバちゃんみたいな存在なのだ。オバちゃんは
(あれ、性転換?)自分には段ボールを、主人
には食品、化粧品、本、衣類をと気のききよう
も半端でない。いわば、足長おじさんのような
(あ、性戻った。よかった)存在ともいえる。
 
家猫にとって家とは自分のテリトリーであり、
そこへ手みやげ下げてやってくる宅配でーすの
足長おじさんは、サンタクロースのようでもあ
り、正直な納税者のようでもあるNeo Derm Beauty Box
が、みやげを受け取った飼い主の淡白な笑みを
見ればやっぱり後者が正しいようだ。
玄関で飼い主の背中を見ながら猫は、きちんと
座りあらためて貢がれる身というのを自覚する
のだった。
 
(自分、けっこうやるじゃん。)

一方で少し得意げに前足をペロリとやり、他方
でふといつも笑顔を絶やさない正直な納税者の
健気さに心打たれ、顔にやろうとしていた手を
下ろしアゴを引いて胸をザーリと舐め、
 
(ありがと。今度の段ボールなかなかイイねServiced apartment Causeway Bay
大事にするよ)
 
と、胸の内でつぶやいてみるのだった。
税金の無駄遣いは、猫界でもはしたないのだ。
 

逆に言えば猫の中で「正直な納税者」というの
は、雨の日も風の日も風邪の日も朝から夜遅く
まで低賃金でこき使われ過酷と言われる宅配業
を担う我慢強い若者たちに相等しいということ
になる。
これは、本来なら問うたりするはずの意識のす
き間がありとあらゆる説明で生半可埋められて
しまっている私たちとは違い、簡単なことを簡
単なこととして客観的にとらえる能力を猫たち
が今日まで捨てずにやってきたからこそ見える
現実だ。
 
猫はでも寿命が短いから、その我慢強き若者た
ちがせっせと働き税金を納め、いつの日か年金
受給者となりその年金収入から所得税を払わさ
れ、死んでも引かれ引かれしてようやく後に残
せたものの中からまたもや相続税なんて名目で
ごっそり持って行かれるという過酷な事実を知
ることはない。
知らない方が良いことが、この世の中には多す
ぎやしまいか?  


Posted by うつ病の人 at 16:09Comments(0)

2016年04月21日

「皮肉之譚」



寒くなると、おでんや煮物に入れた根菜がおいしく感じます。
大根や里芋、れんこんに人参、どれも寒さが増すと土の中で甘みを閉じ込めて
グンとおいしくなります。
私はれんこんが大好き。それも、しゃ蘇梅島旅遊きしゃきしたタイプじゃなくて、
煮るとモッチリしたタイプのが好みです。
買う時にわかればいいのですが、見た目ではどちらのタイプなのか区別がつかないので、
煮物にして食べた時に、「当たり~!」と嬉しくなるか
「クソッ はずれ!」とガックリくるか、バクチのようなところも
また楽しみです。

12月といえば忘年会シーズンですね。
しかし私は忘年会が大嫌い。なぜって、忘年会の定番料理が「鍋」だからです。
なんで どこもかしこも忘年会といえば鍋なんですか? 私はひとこと言いたい!!
めったに外食しない主婦は、たまの外食くらい手のこんだ料理が食べたいのだ!
「わぁ~ きれいっ、こんなん家では作れないわぁ」と叫びたい。
鍋なんか家でもできるし。材料入れて煮たらいいだけなのに、会費5千円だとぉ~? 
私なんてお酒も飲まないし、絶対損美白針だぁ~っ!!
5千円も取るなら手の込んだものを出してよ!
別に私は鍋が嫌いなんじゃなくて、(しかし、好きでもない)、
外食で鍋にお金を払うというのがどうしても納得いかないのです。

世の中の人はそんなに鍋が好きなんでしょうか?
同僚に聞くと、
「鍋でもいろいろある。フグ鍋、アラ鍋、寄せ鍋、カニすき、ちゃんこ鍋、
それぞれ味が違うやん。鍋は温まるし、みんなで1つの鍋をつつくと会話も弾むよ」
‥… 具材が違えど、しょせん鍋は鍋やん、と思う私がおかしいのか…?
しかも、「湯豆腐を食べに京都に行ってきた」という人までいるし!
お湯に浮かべた豆腐に3千円も払うわけ?! 

とにかく忘年会メニューが「鍋」だと私は絶対「欠席」に○印をつけている次第です。
こういう訳で、私は忘年会に毎回欠席するもんで、「たまには参加しなさい」と
言われてしまい、「じゃ、今年の幹事は私がやる!」と名乗りを上げ、
鍋以外のコース料理を予約しましたっ!!
一応、みんなの出欠を取る際に料金とメニューも載せると、
「え~っ 鍋じゃないのぉ~?」「鍋コースはなかったん?」と
あちこちから不満が出る出る‥。
わかりましたよ‥鍋コースに変更しますよ‥。
しかも私は幹事をやると言った手前 鍋でも欠席できず。
幹事だってしたくないのを鍋逃れ救世軍卜維廉中學のためにしたのに…

同僚にこぼすと、「鍋は日本人の原点やで。旅館行っても夕食には必ず1人前の鍋が
ついてるやろ? 固形燃料がチラチラ燃えて鍋がグツグツ煮える。あの光景がええんよ」
「でも、たいていみんなあの鍋は残してはるやん。あの鍋、全部食べてる人 見たことない」
「何言うてるの!たくさんの料理が並ぶ中に熱々の鍋がある、そこに幸せと贅沢を感じる
わけよ。太古の昔に人間が火を発明した、その火で料理した、それが鍋の始まりやな。
だから人は火を見るだけで安心するわけよ。チロチロ燃える炎と、そこに乗ってる鍋を
見たら、眠ってるDNAが呼び覚まされるんよ。だから鍋は日本人の心なんや。」

…ほんまかいな。
「えらいとこまで遡るんやな」
「鍋が嫌なんて、あんた日本人ちゃうで。鍋が苦手なんやったら、あんたの好きな食材を
鍋に入れたらええやん、そしたら好きになるわ」
「ほんなら……れんこん」
「あんた やっぱり変やわ」

鍋が苦手だと変人扱いです…
あ~あ、今から憂鬱…  


Posted by うつ病の人 at 12:35Comments(0)

2016年04月20日

導かれるまま整理すれば、強みが見つかる。

このアメブロのプロフィール欄坐骨神經痛にも書いているが、
私の好きな言葉の1つに「混沌をして語らしめる」をいうのがある。
これは、文化人類学者で、日本人初の独自の、発想メソッド「KJ法」を開発した
川喜田二郎氏の言葉だ。


大学時代に、ずいぶん彼の著作と「KJ法」の考え方にハマって読み漁った時期があり、
その後KJ法そのものを学ぶことはなかったものの、「情報」「発想」「アイデア」というものに
ついて私自身の考え方に大きな影響を与えてもらった。


KJ法と、川喜田氏の考え方は、一種アメリカ的な、最初から道筋を立てて
結論を導いていくものではない。バラバラ、ゴチャゴチャになっている情報の渦をまず
そのままで、いわば感覚的に導かれるままに整理していくことで、自然と答えが見えてくると
いうものだ。


これが、先の言葉のとおり、
「混沌をして語らしめる」という姿であると理spa 香港解している。
つまり、生の情報そのものの、その姿自体に答えを語ってもらう、ということだ。


私の仕事の「バリューIDプロデュース」にも同じ思想が流れている。


つまり、個人であろうが組織であろうが、クライアントが持っている現在の状態を
まずは無理に決まった思考方法で整頓しようとせず、まずそのまま全部一度耳を傾ける。


そのうえで、自分とクライアントさん、両方の感覚が導かれる順序で、1つずつ
ポイントをとらえなおして整理していく。そうすると、なぜかほぼ100%の確率で、
「今まで気づかなかった強み」「独自の価値(value)」が浮かび上がってくるのだ。


いわゆるコンサルファーム的な思考では、絶対にこうはならない。
もとから存在する分析手法を使うことでは、その人、その会社にしかない価値というものは、
絶対に見抜けない。


その人を、そのま淋巴減肥まに。
その組織を、そのままに。


まず語らしめること。そして、それを導かれるように整理しなおしていくこと。


これからも、いろんな相手の、まだ気づかない価値を見つけていきたいと思う。  


Posted by うつ病の人 at 15:49Comments(0)